johnnyGameStudio’s blog

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【ネタバレ注意】The Last of Us part2をクリアしたので語ってみる【ラスアス2考察】

はじめに

今回、はじめてゲームのプレイ後記事を書いてみました
なぜ書いたかというと、今作は世界のゲーム業界において大きな転換となる作品なのではないかと感じたからです
ちなみに今回の記事では以下のことにはたくさんの人が触れているのでこの記事では触れないのでご留意ください \

ちなみに僕は前作であるThe Last of Usは今作をプレイするために発売前にクリアした新規?勢です
なので、ある程度フラットな立場で今作を見れているのかな?という気もします

またこの記事に特に他意はなく、The Last of us part2を作った開発チームに最大の敬意を表します
ということは最初に言っておきます

クリア直後の感想

今作をクリアした時に最初に思ったのは

「このゲームは一体なにをプレイヤーに訴えたかったんだろう?」

ということでした
たいていのゲームではゲームをクリアした時点で「プレイヤーにはこういう感情を抱いていてほしい/メッセージを受け取ってほしいんだな」というのが伝わるものが多い
しかし、今作においてはそれがなかった
というのも、ラストが基本的に一見虚無感しか得られず「復讐をするのではなく赦すことが大事である」と言いたい…?でもそれだとありきたりというか、あそこまで虚無感を演出する必要性が感じられなかったのでエンディングのクレジットを見ながらしばらく考え込んでしまいました

色々議論を呼んでいるアビー編ですが、アビー編に入るのはアビーへのヘイトが高まった状態で入るわけですからアビーを操作するのは苦痛でしたし、しばらくは「アビーとか興味ないからさっさとエリー編に戻れ」としか思ってませんでした
しかし、ラストのシーンではアビーにもそれなりに感情移入できてしまっていたのでなんとも言えないモヤモヤを抱えたままエンディングへと突入することになりました

そこから、色々考えたり再度プレイしたり調べたりして考えたことなどをまとめていきます

考察(ここからネタバレ有)

なぜNaughty Dogは今作を「復讐」というテーマにしたのか

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そもそもなぜ今作は復讐をテーマにしたのかと考えたら、前作の焼き直しになるのを避けたからだろうなと思いました
前作の評価が高かったのは

  • 娘を失ったジョエルがエリーと関わる中で心を取り戻していく物語
  • ジョエルの善悪を超越した魅力
  • 残酷な世界の中で絆を紡いでいく二人の関係性の美しさ(尊さ)

ざっくりこんな感じだと思いますが、つまりは前作は「ジョエルの物語」であり、ジョエルの魅力は前作で描き切っているわけです
その続演で無理やりまた「ジョエルの物語」をやろうとすると前作の焼き直しになってしまう上、おそらく前作を超えるのは難しいでしょう

そうなると必然的に物語の主役はジョエルからエリーに移るのは自然な流れです
しかし、前作がヒットした最大の要因である絆や残酷な世界の中での美しさというのはあくまでもジョエルだから成り立った話であって成長したとはいえエリーにジョエルのような役は合っていないと感じます
つまり今作で必要な最低限の構成としては

  • 前作の焼き直しにならないストーリー
  • エリーならではのストーリー

という構成になっていなくてはなりません
そういった条件があった中で新作を作ろうということでテーマが「復讐」になるのはまぁ仕方ないのかなという気はしました

アビー編とはなんだったのか

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結論から言うと「アビーは今作におけるジョエルの役割」であることをプレイヤーに理解させるためのストーリーなのは間違いないでしょう
ジョエルを殺した宿敵としてアビーというキャラクターは登場するわけですが、アビー編で明らかになったアビーという人物は仲間想いであり、身体を張って見ず知らずの相手を守ろうとする人物だったわけです
さらには、ジョエルのように自らの意思とは関係なくレブという子供を守る立場となり、レブとの間に絆を築いていくことになります
また、エリーをジョエルを殺した時と劇場で戦った時とで2度見逃している点からみても今回の裏テーマである「赦し」を体現しているキャラクターといえます
アビー単体で考えれば、せっかく見逃してあげたエリーに好きな人や愛犬、友人が皆殺しにされてしまうという見方によってはかなり被害者側とも見える存在です

今作におけるエリーの立ち位置

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こちらも結論から言うと「今作におけるエリーは”打ち倒すべき復讐鬼”」として描かれていたのは間違いないと感じました
今作では敵同士が雑談をしていたり敵を殺すと名前を呼んで叫んだりして
「敵として存在するNPCもれっきとした人間であり、誰かの大切な人である」
ということを繰り返し見せられるゲームデザインになっています
いくつかのレビュー記事で
「敵キャラの殺害という手段を避ける方法(麻酔銃とか)がないにもかかわらず、プレイヤーに悲惨さを見せつけるのは単純に不快」
といった内容を見ましたが

エリーは復讐に取りつかれて周りが見えなくなっている(関係のない人間も殺してしまう)存在である

ということを印象づけたいのであり、確信的にそういう構図にしたと感じました

ではアビーはどうなのでしょうか?
アビー編でも敵キャラも人間であることは変わらず描写されています
しかし、僕はアビーとエリーでは行動は同じでもその根本の部分は全く異なると考えます
そもそもアビーが実行する暴力は前作のジョエルと同様に大切な守るべき存在(レブ)を守るための暴力であることに対し、エリーはあくまでも復讐という利己的な理由によって実行しています
アビーは前述の通り、自身の復讐の際には顔を見られたはずのトミーやエリーは復讐とは無関係であることから見逃しています
ここからもアビーとエリーの暴力は全く異なるものであるということが描写されています

https://value-kaden.com/wp-content/uploads/2020/06/8018.jpg

そう思ったのはそれだけではありません、エリーはアビーを見つけるためにアビーの仲間を見つけ出し次々に殺したり拷問したりするわけですが、ノラを拷問した辺りから様子が変わってきます
手が震えたり、躊躇する素振りを見せたりして「自分がやってきたことは正しいのか?」と思い始める描写が増え始めます
そしてその感情はオーウェン達を殺し、メルが妊娠していたことを知った時に爆発します

極めつけはエリー対アビーの戦いです
やっとエリーの操作に戻るのかと思ったらまさかのアビー操作でエリーを倒すという構図になります
そしてその戦闘のゲームデザインは明らかに前作でのエリーと人食いをしてでも生き残ろうとしているデビットとの戦闘と酷似しています
ここから汲み取れる開発側の意図とは

エリーこそ真の敵である

ということではないのでしょうか

なぜエリーはアビーを赦したのか

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ここもかなり賛否を呼んでいる点ですが、エリーはラストにアビーにとどめをさすことを止めてしまいます
人によっては「あれほど殺してやる!と息巻いて、絆を結んだジョエルを殺したアビーを赦すなら今までの行いはなんだったのか」となってしまうのは無理ないと思います
重要な点はアビーに止めをさそうとしているときにエリーが思い出すジョエルとの思い出です
エリーは、自分に了承なくファイアフライから救ったジョエルに対して「赦せないけど赦したいとは思っている」と言ったことを思い出します

そもそもこの決闘にしたってアビーは望んでいませんが、エリーがレブにナイフを突きつけ「戦え」と言ったから了承して戦うことになりました
そんなアビーとレブの関係性、レブのために戦うアビーを見てジョエルとアビーを重ねたのではないのでしょうか?そうすることで

アビーを赦すことで同時に生前和解することが出来なかったジョエルを赦すことができた

ということではないのでしょうか

そう考えるとエンディングのシーンが少し意味が変わってくるように思います
最初は復讐も果たせず、指を失ってジョエルとの思い出のギターも弾くこともできなくなり、家族にも見放されたという虚無感しかないエンディングですが
ジョエルという存在を”思い出”にして復讐から解放されたということを演出しているようにみえます
つまり

The Last of us part2は”エリーが父親(ジョエル)から離れて新たな人生を歩む物語”である

というのが真のThe Last of us part2の訴えたかったことなのではないでしょうか?

これで前述した今作の物語の条件である

  • 前作の焼き直しにならないストーリー
    → 前作は「絆の美しさ」「父親(ジョエル)とエリーの絆」などがテーマだったが、今作は「娘(エリー)が大人として独り立ちする」というテーマ
  • エリーならではのストーリー
    → 娘が大人になるというテーマはエリーにしかできない

ということでクリアしていることになります

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総評

The Last of us part2はビデオゲームを一介の娯楽作品から文化作品へ飛躍させようとした作品である

なぜそう思うかというと、通常多くのビデオゲームは言うまでもなく娯楽作品であり、プレイヤーには「買ってよかったな」「プレイしてよかったな」と思わせるものです
しかし、文芸界、例えば小説や映画では必ずしもそういった作品ばかりではありません
こちらになにかを訴えかけたり、望んでいない描写をすることで時には社会全体に問いかけるものが多く存在します

今作「The Last of us part2」はまさにそういったことを狙った作品なのではないでしょうか?
控えめに言って今作は繰り返しプレイしたいと積極的に思えるほど綺麗な余韻を残してくれるタイプの作品ではありません
しかし開発側の込めようとしたメッセージはいたるところに見え隠れしています

でも個人的評価は「7/10」

https://dic.nicovideo.jp/oekaki/507989.png

色々考察を書きましたが、肝心なことは

ユーザーはそんなこと望んじゃいない

やるにしたってもっとストーリー構成を練ったほうが良かっただろ

という点につきるといえます
多くのユーザが指摘している通り、アビー編は冷静な目でみれば価値のあるものだったといえますが普通にプレイしていればなぜ敵であるアビーを操作させられるんだという不快感のほうが大きいです
そのため、多くのユーザがアビーに感情移入できずによくわからないままエンディングへ突入するという結果になっているようにしか見えません
この内容でやるなら、アビー編はエリー編より前に持ってきてアビーへの先入観をなくしてあげたりしたほうが良かったでしょう
開発側が伝えたかった事が伝わりやすい最適なストーリー構成だったかというと疑問です

というかそもそもユーザが見たかったのは「復讐」だの「赦し」みたいな展開は望んじゃいません
ユーザが期待していたのはジョエルとエリーの物語であり、その中でエリーの成長を描けば良かったと思わずにはいられません
この物語を描くためにジョエルという前作の主人公をあっさり殺しすぎでは?と思ってしまいます

それらの点を考えるとゲームとして、作品として非常によくできていたしとても面白かったですが総合すると海外メディアのように手放しで満点を出せるとは思えず、7点というラインがちょうどいいかなというのが個人的な肌感です

ただ、一部で言われているような 「このストーリーを考えた人は前作が嫌いなのか?」 というのは絶対にないなぁ